元気が出る話

感謝ができない?無理にする必要なし。自身のステージを変えれば自然とできる。問題ない。

感謝

こんにちは。にったんです。

最近よく感謝メールを頂くようになりました(^^)

分かりやすい!面白い!不安が消えた!など嬉しい感想をいっぱいもらってとても嬉しく感じております。

ということで、今日のテーマは「感謝」についてのお話。

実は僕、少し前まで感謝について悩んでいました。

というのも、潜在意識や引き寄せやスピリチュアル、自己啓発の本で「感謝」が取り上げられますが、僕はこの「感謝」についてどうも違和感を感じていました。

以下、過去の自分の「感謝」について思ってたこと↓

  • 感謝感謝っていうけどさ、意味あんの?
  • なんか偽善たらしくて好きじゃないんだよね
  • なんでこっちばかり感謝しなきゃならないんだ。。
  • こんな現実に感謝なんてできるわけないだろ。。
  • 嫌いな人間に対しても感謝しなくちゃいけないの?!

 

今回は「感謝」について自分なりの考えを書いていこうと思うのですが、

今回の記事の目的は、僕と同じように「感謝」に対してモヤモヤしている人がいたら、それを少しでも取り除いてもらえたらな、という思いで書いております。

過去の僕のストーリーも織り交ぜているので、ぜひ読んで見てください。

僕は「感謝」が嫌いだった。

よく自己啓発の本や引き寄せの本などに「感謝は大切だ」と書いてあります。

「そんなのはいちいち言われなくてもわかってはいる」と頭で理解しつつも、僕はあまり感謝をする気になれなかった事があります。

というのも、どこか「不公平感」を感じていたから。

僕はこれまで色んな接客業をしてきまして、人と接することがものすごく多かった。

仕事でも「お客様に感謝を」みたいな事を言われてきた。

でも僕の心はなんかモヤモヤして、なんか感謝に対してものすごく抵抗があった。

なんでかとうと、僕に対しては誰も感謝してくれないからだ。

レジの仕事をしていた時も、こっちはいつも「ありがとうございます。ありがとうございます。」と言っているのに、お客さんの方は返事しないどころか、目すら合わせない。

もちろん全部が全部ではない。ご丁寧に会釈と感謝の言葉を述べてくれる人もいる。

でも大多数が違う。

目も合わせず返事もなし。まるで自分はただの背景なんじゃないかと思うくらいに、雑というか、「目の前に生身の人間が頑張っている」というのが認識されていないのだ。

当時の僕は

「なんでこんな人間にまで感謝の言葉を述べなければならないのだ」

「感謝の言葉を述べたところで給料が上がるわけでもない」

「感謝されるわけでもない」

と思い、道徳的というか、倫理的というか、そういう「感謝が大切だ」という風潮そのものがすごく嫌になった。

なんでもかんでも感謝だ感謝だ、とか、馬鹿なんじゃないのか?とすら思うようになった。

一人暮らし。母への感謝。

そんな僕だったが、実は知らぬ間に深い感謝をしている時もあった。

それは母親への感謝だ。

僕は長い間実家ぐらしで、炊事洗濯は全て母がやっていた。子供の頃からずっとそうだったからそれが当たり前だったし、特別「母親が頑張っている」という認識すらなかった

毎日朝一番に起きて朝食や弁当の準備をし、ずっと布団から出てこない僕を起こしにかかり、「いい加減起きなさい!遅れても知らないよ!」と大きな声をあげ、

僕は「うるさいなぁ・・」とか思いながらムスッと起きて朝食を食べ、そして家を出る。

夜になれば僕が帰る時間を見計らって、温かいご飯がいつも食卓に出てきていた。

お風呂で脱いだ服たちはいつの間にか洗われて、畳まれておいてある。

それが当たり前だった。

でも一人暮らししてみると色んなことに気がつくようになった。

食事を作るのって結構面倒だし、そもそもメニューを考えるのもかったるい。

洗濯を回すのはいいが、干すのと取り込むの、そしてたたむのがこうも面倒だとは。

自分一人のことをするだけだから、そこまで大変じゃないけど、

母親はいつも家族みんなの分を、毎日休むことなくやっている。

一人暮らしをする時には「がみがみうるさい親と離れられてせいせいした!」と思ったりもしたけど、こんなにも毎日頑張ってくれていたのかと実感すると、感謝せざるを得なかった。

僕は母への感謝の気持が自然と湧いて止まらなくなってきた。

僕は一人暮らしはじめた後、改めて母親に感謝の言葉や、いつも当たり前に思っていてごめんね、と自分の気持ちを素直に表現した。

僕ら親子は前以上に仲が良くなった。

それでもまだ、感謝への抵抗。

僕は一人暮らしがきっかけで母親への心からの感謝の念を覚えた。

僕は自分が今まで「自分は感謝ができないだめなやつ」と思っていたが、どうやらそうでもないらしというのがわかった。

でもどこかまだ抵抗感がある。

感謝が大事なのがわかったが、まだ感謝ができないことがある。なんだろう。

依然接客業をしていたが、やはり「こんな奴に」と思う人間にはどうも感謝ができなかった。

レジで上から目線でタメ口で話しかけてくる客、金払っているから当然でしょと言わんばかりの態度の人間、わけわからん主張を繰り返すクレーマー。

口が悪くて申し訳ないが、こんな「クズ」みたいな人間に、なんで感謝せねばならんのだ。

でも自己啓発本とか引き寄せ系の本には「全てに感謝しろ」的なことが書いてある。

ものすごい窮屈感を感じた。

「自分は感謝が足りない人間だから、成功しないんじゃないか。」

「感謝ができない自分はレベルが低いのではないか。」

「こんな悪人みたいにな人間にも感謝せねばいけないのか。」

「じゃあ自分は一体どうなんだ。誰に感謝されているんだ。不公平じゃないか。」

一種の自己嫌悪に陥りそうになった。

大切にしている人・自分のために頑張ってくれる人に感謝すればいいじゃないか。

僕は一種の「感謝の強迫観念」を持っていたわけだけど、最近結論が出た。

それは「大切にしている人、自分のために頑張ってくれる人になるべく感謝しよう」というものだ。

逆に言えば「自分を粗末に扱う人間、無礼な人間、嫌いな人間」には感謝しなくていい、という自分への「許し」をつくったとも言える。

大切な人、自分のために頑張る人への感謝。

僕の奥さんはいつも一番に起きる。

冬場の寒い中、一番冷える朝方に起き、洗濯を回し、暖房はついているけど温まりきらないキッチンでお弁当を作ってくれている。

洗濯機が止まればすぐにひんやりと冷たい洗濯物を干しに、白い息を吐きながらベランダに出る。

どう考えても大変である。

僕は寒いのが特に苦手で、いつまでも布団に潜っていたい人間だ。

でも僕の奥さんは自分がスヤスヤと寝ていてもテキパキと家事をこなす。

僕は母を思い出した。

子供の頃、僕は母に感謝の言葉を伝えたことは殆どなかった。

母親に「感謝しろ!」なんて言われたことはなかったけど、でも「ありがとう」を言ってもらえないのは寂しかったかも知れない。

僕が接客しても「ありがとう」を言ってもらえない寂しさと同じだ。

そう思うと、奥さんに対して感謝の気持ちがものすごく湧いてきた。

僕が今ここで大切な人への感謝の気持ちを忘れたら、「人間として終わる」とふと思った。

だから僕は毎朝、「今日も朝早くからありがとうね」と必ず言葉にして伝えるようにした。

そうすると奥さんもニコニコしながら「どういたしまして」と答えてくれる。

おかげさまでか、夫婦仲はめちゃくちゃ良い。自分で言うのもアレだが、相変わらずラブラブである。

こんな経験から、僕は自分の「感謝のカタチ」が何となく定まってきた気がした。

全部が全部に感謝ができなくても、

まず大切な人・自分のために何かしてくれている人、頑張ってくれている人に感謝しよう、と思うようになった。

これは僕がファミレスや服屋さんなど、お店にいった時もそう。

僕は接客する側の人間の大変さがよく分かる。

だから自分に対して何かしら頑張ってくれている人には必ず「ありがとう」を言うようにしている。

お金払ってるからやってもらって当然、という話ではないのだ。

お金を払っていようが、働いている人間は大変なのだ。

その仕事が好きで好きでたまらない、という人も中にはいるかも知れないが、

多くの人は好きでもないことを生活のためにやっている。

給料もらってるからと言って、感謝されないのはやっぱり寂しい。理屈じゃない。

だから僕はなるべく「ありがとう」を言うようにする。

そっちのほうが、みんな気分良くなるじゃないか。

逆に「クソ共」には感謝しないという、自分への「許し」。

逆に、僕は感謝できない自分を許すことにもした

話の途中で何度か出てきた「クソ共」にはどう頑張っても今の自分では感謝の気持ちなんて持てるわけなかった。

だから僕は思い切って「自分を不快にする人間」「自分をないがしろにする人間」「自分を傷つける人間」に感謝するのを一切やめた

確かに、その「クソ共」も自分の知らいないところで、自分たちのために何かを頑張ってくれているかも知れない。

でもそんなこと考えてもどうしようもないし、実際に目の前で嫌なことをされたのなら、そんな輩には感謝などしなくていいと僕は思っている。

できないもんはできないんだから、どうしようもない。

そんなことより、「感謝できない自分」を否定してしまうほうがよっぽどかわいそうだ。

そもそも感謝って無理にするものではない。

確かに、引き寄せや自己啓発の本では、「感謝するクセ」をつけるために感謝についてアレコレ書いている。

実際、感謝ができる人間のほうが仕事や恋愛、人間関係、全てにおいて非常にうまくいきやすい。それは明白。

だから感謝する習慣というのはとてもいいものなんだけど、

でもどこか「義務感」「やらなきゃ」「できなきゃ」という気持ちが先行してしまって、いつの間にが自己嫌悪や自己否定につながっている事も多々ある。

僕自身は実際そうだったし、これを読んでいるあなたもそうかもしれない。

そうなると本末転倒。

自分を高めるための習慣のはずなのに、その習慣そのものが自分を傷つけてしまうという、非常に勿体無い事になってしまう。

だから感謝ができない自分を責める必要はないし、無理に感謝する必要もない。

できない自分を許していいと僕は思っている。

結論。感謝は無理にしなくていい。ステージを変えよう。そのうち嫌でも感謝したくなるときが来る。

感謝は無理にする必要はまったくない。

むしろ「感謝できない環境から脱出する」ことを考えて、自分が居心地が良くなる環境を整える方に頭を使ったほうが遥かに賢明。

そもそも感謝できないほど嫌な環境っていうのは、「いつまでもそこにいるな」という自分の心からのサイン。

本来あなたがいるべき場所ではないのだ。

そういう意味だと、僕も感謝のできない「レジの仕事」を辞めて、別の仕事を始めた。より自分がいい気分でいられる環境に身を移した。

さらに今では実際にこうやってブログで情報発信をするようになり、感謝のメールを頂いたりして、さらに「居心地のいい環境」に移行している。

こうやって自分を居心地の良いステージに上げていくと、心に余裕ができて他人に感謝できるようになってくる。嫌でも湧いてくるようになる。

感謝できないなら無理にする必要なんて無い。

無理に感謝するんじゃなく、まず自分をより「居心地のいいステージ」に移そう。

そうすれば勝手に感謝の念は湧いてくる。自然と感謝できるようになる。

感謝できない自分を責めなくていい。できない自分を許してあげよう。というお話でした。

 

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またこんな内容のことを書いて欲しい!などリクエストもお待ちしております。

ではまた。

 

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にったん
潜在意識や引き寄せの知識を学び実践したところ、理想的な女性とお付き合いできるようになりました。その後結婚。子どもも生まれ、幸せな毎日を送っています。

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