こんにちは。にったんです。
今日は改めて引き寄せの法則を解説してみようと思います。
「僕は引き寄せの法則をこんな風に捉えているんだよ~」という共通の認識とか価値観が共有できたら嬉しいなーと思い記事を書いています。
僕の引き寄せ観とは、
「外面的なことばかりに注視するな。内面の強化を先にせよ。」というもの。
引き寄せることだけ考えて、自分自身を深く知ることなくメソッドやってもアカンよ!ということがいいたい。
で、
引き寄せの法則ってズバリ、「当たり前だと思っていることが当たり前に起こる現象」です。
例えば懸賞に当たりやすい、と思っている人は本当に当たりやすいし、
そもそも懸賞に応募するという「行動」も自然となす人間なのです。
人から好かれやすい、という人は本当に好かれやすいし、
そもそも人から好かれる雰囲気や言動などを無意識に成している人間なのです。
重要なのは2つの要素。
内面と外面。
1つは行動や思考など、自分自身から発信しているもの。内面。
もう1つは、外部からの「偶然」の出来事、チャンスなど。外面。
それぞれ解説していきます。
行動や思考など、いわゆる「内面」の要素。
引き寄せの法則とは「当たり前だと思っていることが、当たり前に起こる現象」と説明しました。
懸賞に当たりやすい人は、本当に当たりやすいんだけど、
そもそも
- 懸賞に応募する
- 懸賞に関する情報を得る
- 懸賞に興味がある
みたいに、行動やら思考やらも「懸賞に当たりやすい人のそれ」なわけです。
僕は懸賞とか、クジ引きとか、あまり当たらない人間なんですが、
僕はそもそも懸賞にも応募しないし、クジも引かないし、引こうとも思わないし、
要は行動も思考も「懸賞に当たりやすい人のそれ」ではないわけです。
でも僕は人から好かれやすい人間です。
僕は自分のことを「人から好かれやすい人間だ」と思っているし、実際にそうです。
そして意識はしていませんが、自然と人から好かれる行動をとっているらしい。
前に人から言われたこととか↓
- 優しい
- ネガティブな要素ない(毒は吐くけど)
- 面白い
要は人から好かれるであろう行動を取れているとのこと。
また人から好かれるような思考(デリカシーに配慮・親しき仲のも礼儀あり)もあるので、
自然と「人から好かれる人のそれ」ができているわけですね。
何が言いたいかというと、
「当たり前だと思っていることが当たり前に起こる人は」
「当たり前に思考と行動をしている」ということ。
メソッドとかの方法論に目がくらみ、意外と忘れがちなんだけど、こういう要素があるということをまず抑えておいて欲しいです。
こういう本質をつかんで欲しい。
はい、でた行動。それってただの努力だよね?引き寄せじゃないよね?
引き寄せの話で行動というワードが出てくると、こんな風に思う人も多いんじゃないかなと思います。
というか、過去の僕は思っていました。
行動したくないから、行動に疲れたから引き寄せの法則に頼ろうとしているのに、
また行動かよ。
それってただの努力と何が違うんだよ。と思ってた。
で、結論から言うと、
ただの努力と引き寄せの法則って全然違う。
僕の引き寄せの定義はさっき話した、
「当たり前だと思っていることが当たり前に起こる法則」のこと。
さっき例に出した、懸賞に当たりやすい人や、人から好かれやすい人など、
その人達が「努力」しているかというと、おそらくしていない。
というか、努力・行動しているという認識すらない。
なぜなら好きでやってたり、楽しんでいたり。
そこに苦しいとか辛いとか、そういう「重いもの」がないから。
実際僕は人から好かれる努力なんてしていない。
むしろ人との交流とか苦手だし、飲み会だって面倒くさくてすっぽかすタイプ。
でも自分に素直で正直で、自分で言うのもアレだけど、少年のように色んな事を吸収する人間だし、裏表ないし、マイペースだから、そういう「媚びないマイペース具合」が好かれる理由なのかもしれない。
とにかく、僕は頑張ってるどころか、テキトーにしまくっている。
し、そのテキトー具合を楽しんでいる。
行動をしているとかそんなのない。
さらにホリエモンを例に出してみよう。
彼の中では「商売で売上あげられるのは当たり前。利益出せるのは当たり前。」な人間。
でそのための行動と思考を「私生活レベル」「当たり前レベル」「呼吸するレベル」で行っている。
彼にはいちいち行動しているとか、努力しているとか、そういう概念すら無いと思う。
「そんなの当たり前じゃん」と言うのではないか。
はたから見れば彼は異常なほど努力していると思う。
常にスマホをもちメモをしたり、新しいことをどんどん吸収したり、
もう仕事・仕事・仕事。である。
でも彼はそれが楽しいからやっているわけだし、やりがいがあるからしてるんだし、
それをいちいち努力だの行動だの思ってはいないはず。
ここなんですここ。
「真に行動している人は、行動を行動と思っていない」んです。
さっきの懸賞の話に戻ると、
懸賞に当たりやすい人は、
懸賞に応募したり、懸賞の情報を集めたりとか、そういうのを「行動だ」なんて思っていない。
好きでやってるから。
つまり引き寄せの大切な要素である、「思考や行動の「内面」的要素を満たしている」のだ。
僕が恋愛でうまくいったのも、彼女に連絡先を聞いて、デートに誘い、アプローチをして、告白、という「行動」があったのは間違いない。
それ以前に、かっこよくなりたいから、
メガネからコンタクトに変えたり、
美容室を変えてみたり、
女の子との会話が苦手だったからネットで恋愛情報読み漁ったり、
そもそも潜在意識を使う術を学んだり、
色々やってきた。
でもそれが行動したか?と聞かれれば、
確かにしたのかもしれないけど、でも自分が興味持って、やってみたいと思ったことをやってただけだから、
言うなら「子どもがゲームしているのと同じ感覚だよ」と答えると思う。
子どもは止めない限り永遠にゲームを止めない。
でもそれは楽しいから。面白いから。
それを「行動している・努力している」なんて思っちゃいない。
何が言いたいかと言うと、つまり、引き寄せには、
行動を行動と思わない真の行動が必要。ということ。
その真の行動ができるようになるためには、
「究極的に自分自身を向き合うこと」が必要になる。
今回はその話には触れないが、
自分自身と向き合う、ということが何よりも大切だということをわかって欲しいです。
ノートに書けば叶うとか、願えば叶うとか、イメージすれば叶う、アファすれば叶うとか、感謝しまくれば叶うとか、
そういう枝葉の、表面的なことじゃないんですよ。
正直メソッドなんてなくても叶います。
重要なのは根っこです。
自分の本心本音、好きなもの嫌いなもの、我慢しているもの、本当は我慢したくないもの、
妬んでいるもの、羨ましいと思うもの、憧れるもの、
自分の思い込みや自分の感情。
そういうものをガチで理解している人が真の行動を取れるようになる。
そして願望を叶えられる。深い意味で。
努力を努力だと思っているうちは、まだまだ自分への理解が足りてない証拠でもあるということ。厳しいこと言うとね。
実は僕も、過去に「努力」してたときがあったんですけど、まぁうまくいかない。(笑)
で、その時は、「努力したのに、頑張ったのに・・なんで報われないんだ・・」と嘆いていた。
当時の僕は何も分かっていなかったんですね。
努力を努力だと思っているということは、本当の心から望んでいるものじゃないってことを理解していなかった。
だから苦しかった。辛かった。結果も出なかった。出ても幸せではなかったかもしれない。
そこから鬼のように自分自身と向き合うことをしました。
そしたらどんどん軌道にのりはじめましたね。
「偶然」「ラッキー」などの外面的要素。
さっきの話は、行動とか思考とか、その人が発信する内面的要素のはなし。
で、引き寄せにはもちろんそういう要素だけではなく、
いわゆる「偶然の力」というものも働く。
例えば出会いとか。
僕の今の彼女(奥さん)は職場で知り合ったんだけど、正直これも偶然と偶然が重なりまくっていると僕は感じている。
というのも、僕がノートに書いた理想の女性像そのままんまだし、そのノートには事細かくいろんな条件をつけたしていた。(家が近いとか、背が小さいとか、性格面とか)
だし、そもそもそんな女性が自分の職場にやってきたこと自体もかなり偶然。
こればっかりは自分もコントロールのしようがない。
カタチ的には「引き寄せた」みたいになるが、正直なぜそうなったかは完全には説明しきれない。
何が言いたいかというと、
引き寄せには確かに「偶然」「チャンス」なるものがやってくるけど、それはランダムだし、コントロールは不可能だということ。
で・も・
なぜかその偶然やチャンスの出現率が明らかに高くなるのもまた事実だということ。
なぜこういうことが起こるのか、分析してみると、やっぱり「内面」の要素があるからこそ、外面的なサポートが入ってくるのではないかと僕は考えています。
理由は完全には説明できないが、「内面」の強化で外面からのサポートがやってきやすくなる。
こればっかりは体感してみないとわからないかもですが、
内面を強化すると外面からのサポートがやってきやすくなるのはかなりの場合事実だと思っています。
出会いもそうだけど、僕は恋愛に関して「内面」を強化しました。
その結果、「俺に彼女がいて当然なのでは?」というセルフイメージに完全に切り替わり、そのタイミングで今の奥さんと出会うことができました。(出会うためになにかしたわけではない。)
後は。アプリゲームのガチャとか。
僕はアプリのガチャで良いのを当てやすいんですけど、それもコントロールは不可能に近い。
でも内面を鍛えた、というか遊び半分で、「俺は当たりやすい人なんじゃね?」というのを刷り込ませたら、なんかあたりやすくなったりした。
つまり、偶然やチャンスを意図的のコントロールするのは不可能だけど、
でも内面を鍛えることで、その確率が上がっていくのはほぼ間違いないんじゃないかと僕は思っているんです。
内面を鍛えるというのは、究極的に自分と向き合うこと。
究極的に自分と向き合い、「いけるじゃねーの?」状態になると、本当にいけるし、そもそもいけるように、偶然の力が味方してくれるようになる。というのが僕の見解です。
内面を鍛えない引き寄せって「ヤバい」と思ってる。
巷の引き寄せ関連の情報では、ものすごく表面的なことばかり書いてある。(あんま読んでないけど)
願えば叶うとか、書けば叶うとか、アファすれば、イメージすれば、瞑想すれば、手放せば、ポジティブになれば、感謝すれば、、、
色々メソッドがある。
正直どれも正しい。
し、どれも間違っている。
中核として「内面の強化」がないと、どんな事をやろうとも効果ない。
感謝を1万回して、そこで気づきや、自分自身と向き合い、本心を大事にすることの大切さを理解し、
自分がそもそも求めていたものは何なのか、自分はどうありたいのか、みたいな「内面に」繋がればいいけど、
ただメソッド通りに、
感謝1万回した。叶わない。
アファしまくった。叶わない。
イメージしたのに叶わない。
とか、そりゃそうだろと思う。
だって自分が何も変わっていないし、何も理解していないから。
そういう浅い事してても変わらない。
で、そういう引き寄せの実践をしていると、頭がおかしくなってくることだってある。
僕も経験あるけど、イメージしまくって叶わない、アファしまくって叶わない、だと
めちゃくちゃ焦るし、切羽詰まるし、「なんで叶わないの?!」と文句もいいたくなったりもする。
引き寄せの怖いところはここで、下手すると精神が病んでしまうことだってある。
引き寄せを現実逃避として使ってしまい、気が滅入って、わけわからんスピ信者になったりもする。
本質的なことを理解しないで、現実逃避のように引き寄せを捉えてしまうと、とんでもないことになってしまったりもする。
これはすごく怖いことだと思います。
「内面強化」という要素をシカトして、「外面」要素だけ取り入れようとしていると、新興宗教にハマっちゃたの?状態の人になってしまう。
事実、そういう人は多くないだろうか?
引き寄せることだけ考えて、自分自身の理解を疎かにすると、とんでもないしっぺ返しに合う。これも大方事実であろう。
結果がほしい気持ちはわかるけど、それじゃ、ほんとにやばいんです。
「いつか叶う」「いつか叶う」みたいにずーーーーーっと叶わない現実を目の当たりにして、気が変になってしまう。
というのも、
正直なはなし、僕も一時期「変」になりかけたことがありました。
現実逃避して、イメージイメージイメージ。
いい気分いい気分いい気分。みたいな。
ポジティブポジティブ。みたいな。
なーーんにも変わらない。
どころか、現実が悪化するというね。
このころは精神的にかなりきつかった。
長くなってしまったけど、僕が言いたいのは、
「外面だけに頼るな。内面をまず鍛えようよ」ということなのです。
ここを押さえれば、どんどん能動的にいろんなことしたくなるし、それと同時に「偶然の力」が味方してくれるようにもなります。
内面を鍛えると、行動だって「勝手にするように」なります。ぶっちゃけ。
だって楽しいから。
だから、
外面的なことばっかじゃなくて、内面的なことを重視して、メソッドやれば最強なんじゃないかと僕は思っています。
長くなりましたけど、これが僕の引き寄せ観です。
自分自身をよーーーく知ること。これが一番の近道です。ほんとに。
そうすれば、例え仮に引き寄せられなくても、こっちからどんどん向かって行きたくなりますから。
そしてそれを後押しするような出来事が、なぜか起こったりもしますから。
自分を究極的に知るってすごい楽しいことです。
ぜひ、枝葉の、表面的なことだけするのではなく、
本質的なとこを抑えてもらえたらと思います。
長くなりましたが以上です。
ではまた。
====================
引き寄せの無料講座をつくりました
◆タイムラグ短縮の極意
◆引き寄せ体質になるマインド
◆一気に叶うようになった裏話
などを解説。
詳しくはこちらから▼
====================
====================