我慢は自分を幸せにするわけではない。
我慢は美徳だ、という考え方もありますが、
僕は我慢は自分を幸せにするものではないと思っています。
自分の幸せを考えずに、ただ我慢をしているだけだと、「自分だけが」苦労する羽目になってしまう。
僕は以前、人間関係で色々と我慢をしてきました。
我慢してればいつか報われる、幸せになると思っていましたが、
まったくそんなことはなく、我慢は自分を幸せにしてくれることはありませんでした。
「人生は修行」の本当の意味。
人生は修行だとよく言われますが、それはなんでもかんでも我慢すればいいってことではありません。
人生の試練とは、自分の本心のまま生きようとする時に現れる障壁のことだと僕は考えています。
例えば、他人に振り回されるのが嫌で、もう他人に振り回されないように生きようと決めた時に、他人に振り回されそうになる現実が襲ってくる。
その時に勇気を出して、他人に振り回されない自分を選択する。
現実に負けないで、自分を貫き通す。
というのが試練。
そうじゃなくて、自分の幸せを後回しにし、自分が辛いのを知りながらもそれを放置する、それが我慢。
これは自分の本心を殺してしまっているし、幸せに向かう行為ではありません。
人生は修行だ・試練だ、というのは、
なんでもかんでも我慢しろ、ということではないです。
むしろ、自分の本心のために、自分の幸せのために、勇気を出して乗り越えろ、ということを言っています。
我慢することは、人生の修行では決してないです。
自分がかわいそうだよ。もっと大切にしようよ。
我慢は自分を幸せにしてくれるわけではないし、人生における修行でもないです。
ただただ自分に我慢させるのは、自分がかわいそうだとは思いませんか?
ただただ自分だけが辛い目にあって、正直なとこ、なにも見返りないじゃないですか。
それに、その我慢は誰も気づいてくれないかもしれないんです。
我慢するってことは、何かしらの見返りを期待しているわけで。
でもその見返りがほとんどないとしたら、
自分だけが疲弊して、自分だけが辛い目にあってるだけだとしたら、なにか馬鹿らしく感じないでしょうか?
僕は我慢をやめた。
僕は以前、人間関係において「我慢」をしてきましたが、我慢してもいいことなんて何もなかったです。
この我慢に気づいてくれるわけでもなければ、誰かが慰めてくれるわけでもない。
結局自分の一人相撲。
自分だけが疲弊しただけでした。
我慢しても何も報いてくれない。
そんな自分がかわいそうになったから、もう我慢するのやめてみたんです。
そしたらもう一気に気分が楽になりました。
もう他人に気を使わなくても、顔色伺わなくても、意見合わせなくてもよくなったんです。
ものすごく自由を感じました。
さらに、事実、人間関係は以前よりも劇的に改善されていました。
ずっと我慢が美徳だ、人生は修行なのだから我慢は当たり前だと思っていましたが、
むしろ我慢なんてしないほうがはるかにいい結果を出すことができました。
「なんだ。我慢なんてする必要なかったんだ。」というのが正直な感想です。
我慢をやめるには、最初は勇気がいる
我慢をやめるのってなかなか勇気がいると思います。
人から嫌われるかもしれないし、何かを失ってしまうかもしれない。そういう恐怖がついてまわると思います。
でも、勇気を出して、なるべく我慢を減らすべきだと思います。
人間関係でいうなら、言いたいことを言って、嫌なものは嫌という。
飲み会に行きたくないのなら断ればいいし、残業頼まれても勇気出して提示で帰ればいい。
それを口に出して、直接伝えるのは怖いけど、でもその恐怖を乗り越えるだけの価値があると思います。
我慢を減らす価値はものすごい大きいと思います。
我慢を減らすのは、自分を大切にする、ということです。
我慢は修行でも試練でもありません。
我慢を減らし、自分の本心を大切にしていきましょう。
ではまた。
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