こんにちは。にったんです。
さて、ここ最近「パワー系」の記事が多かったので、
今日は久しぶりに「柔軟系」の記事を書こうと思います。
今日は「対極の思考に囚われるな」「常に自分の感覚にアンテナを張るべし」という話をします。
考え方に表や裏、陽や陰といった、対極的な考え方がある。
例えば行動すべきか、すべきではないか、みたいな。
この答えは「その人本人のレベル、段階、状態」などが絡まり、
一般論としては語りにくいものがある。
つまり、一次的な情報を鵜呑みにして、
自分の行動や思考、スタンスをブレさせてはいけなのだ。
わかりやすく例えるなら、
「このラーメン美味しい?」という質問の答えは、その人本人にしかわからないということ。
美味いと感じる人もいれば、不味いと感じる人もいる。
行列のできるラーメン店でラーメンを食べて、
「あれ?あんま美味しくなかったけど・・」という感想を言って、周囲の人間に「お前の舌はおかしい!」と言われたとしても、その意見は正しくないということ。
つまり、「不味いと感じたあなたの感覚は何も間違ってはいなく、むしろ大正解だ」ということ。
もっと言えば「人それぞれ」ってこと。
こんなの当たり前に思うかも知れないけど、
こと「人生」に話が移ると、途端に自分の感覚が信じられなくなる。
「これはすべきか?」「あれはすべきか?」と右往左往してしまう。
特に潜在意識や引き寄せなんかそう。
行動したほうがいいのか、しないほうがいいのか?
このまま潜在意識に任せっきりが良いのか?それとも自分でどうにかしたほうがいいのか?
努力はしたほうがいいのか?しないほうがいいのか?
などなど。
前置きが長くなったけど、
今日話したいのは、
常に「自分の感覚アンテナ」を最大限に張ろうね、そして強さ及び柔軟さで対処しようね、ということ。
自分を導けるものは「自分の感覚」と「選択」しかない。
僕がこのブログで喋っていることは、役に立つかも知れないし、
人によっては「毒」になりうるかもしれない。
それを決めるのはあくまで自分。
全て自分自身。
僕はこのブログを読んでくれる人、関わってくれる人に「強靭(きょうじん)」になって欲しいと思っている。
強靭とは、強く、靭(しな)やかなことを言う。
ただ強いのではなく、柔軟であって欲しい。
剛と柔を併せ持って欲しい。
そんな思いが湧いてきたので、ちょっくら書いていきます。
頑張るべきか、否か。
僕は頑張るべきだと思うし、頑張るべきじゃないと思っている。
例えば仕事に関すること。
頑張るべきじゃない。
仕事が辛くて辛くて仕方がない。ってときは、
それ以上頑張るべきじゃないと思う。
だって「苦しい」んだから、それ以上やると「不幸の選択」をしていることになる。
だから頑張るべきじゃない。
そんな時は「頑張る」という定義の見直しや、自分の観念に気づき、どんな思い込みがあるかを丁寧に探っていく。
そして自分が「ラク」になる考えを採用する。
頑張るべき。
対して、昔の僕みたいに仕事したくない。なぜなら仕事が怖いから。
でも仕事してない罪悪感と情けなさに推し潰れそうだ、
って時は、「気合と根性で頑張る」べきだと思う。
だって「罪悪感と情けなさ」に「辛さ」を感じているんだから、それ以上放置していると「不幸の選択」をしていることになる。
だから死ぬ気で頑張るべき。
ちなみにこの、「自分の見たくない姿を見ぬふりする系」のやつは、時間が経てば立つほど、どんどん大きくのしかかってくる傾向にある。
夏休みの宿題をやらなきゃと思いつつ、罪悪感を感じつつ遊んでしまう感じ。
それは「ツケ」となって返ってくるパターンのもの。
早急に「頑張る」べきもの。
目をそらそうとしても、チラチラと気になる存在は、放置してはいけないということ。
逃げるべきか、否か。
僕は逃げるべきだと思うし、逃げるべきじゃないと思う。
今度は人間関係を例にしてみる。
逃げるべき。
自分が所属しているグループ(仕事でも趣味でも)の人間関係に疲れた。もう他人に気を使うのは嫌だ。逃げたい・・でも逃げて良いのだろうか??
という時は全力で逃げるべきだと思う。
だって人間関係に振り回される「辛さ」を感じているから。
他人に振り回される不幸を選択しているのだから、逃げるべき。
この場合は「逃げる」ということに「悪い」という価値観がセットになっているから、
それを「逃げてもええんやで」という感じで処理する。
つまり「心のラクさ」を作るということ。
逃げるべきではない。
では、違うパターン。
本当はもっとグループに関わりたい。グループの中心人物になりたい、チヤホヤされたい、もてはやされたい、でも怖い、、、自分なんかがしゃしゃり出たらウザがられるのでは?
てか相手にどう思われるか気になって、自分をうまくだせない。。
って時は逃げるべきでは無いと思う。
だって「本当は頑張りたいけど、頑張れない情けない自分」に「辛さ」を感じているから。
これはしっかり立ち向かうべきだと思う。
この場合は具体的に、なぜ自分がグループに馴染めないのかを洗い出して、
それを克服していく。
自分に自信がないからなのか、自分が嫌いだからなのか、気にしすぎる性格だからなのだろうか。
どちらにせよ、「自分を改善する」という立ち向かうスタンスでいるべき。
『剛と柔』の考え方。自分の感覚を大事にすべし。
ざっくりとした例だけだったけど、
僕が言いたいのは「自分の感じ方別に対処を変えろ」ということ。
一概に頑張れ、行動しろ、とも言えないのだ。
ラクが良いよ、ラクを選択しよう、とも言えないのだ。
重要なのは、自分がどんな「苦痛」があるかだ。
自分を苦しめている系の苦痛なら避けることが必要(柔の考え方)だし、
臭いものに蓋をしようとしていることに苦痛を感じているなら、それを真正面から克服する事が必要(剛の考え方)。
これが僕の持っている『剛と柔』の考え方。
強さをもって克服するのか、柔軟さをもってしてかわすのか。
その判断は、その個人が感じている「感覚」次第なのだ。
だから「自分の感覚に最大限アンテナを張ること」が大事なのだ。
ラーメンと同じで、その事象に対してどのように感じているかは、その人しかわからない。
だから僕は「自分と向き合え」といつも主張しています。
自分がどう感じているかが全てなんです。
ということで、
僕はブログ内でふつーに矛盾したことを発言しますが、
根底にはこういう「剛と柔」の考え方があってのことです。
一次的な情報に惑わされず、常に自分がどう感じているかを、しっかり見ましょうね!
ということで今回は以上です。
ではまた。
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